2009年1月26日月曜日

旗の歴史

 日本の旗の起源は、古く中国の「魏志倭人伝」の記事中に、魏の国より邪馬台国の地位保証の印に、称呂印綬を卑弥呼のために贈った戦うための旗だとされる。日本書紀にも旗のことは広くとりあげられているが、これは信仰的な裏づけをもった扱いであったと考えられる。
 色に関しては、まず白から次に赤になり、中国で尊厳を表す黄色は、日本では平俗な色となっている。これは染料のもとである刈安、とち橡の実の類が、日本では容易に入手できるためであろう。
 旗の呼び方の起源は、万葉集の「およそ本朝の俗全旗を読みて、波太(ハタ)ということ、波とは長き義なり、太とは手なり、手の長くかかりたれば波太と言えり」による。これを手長旗といい、初期はこの形式であった。前後して、宗教の用具としてインドより仏幡の類も日本に入ってきて、図柄や形により権威を表示した。
 大和朝では、中国の隋・唐の制度・組織の影響を受け、朝廷行事に「日像幢」「月像幢」「四神旗」などを立て、唐の制度をそっくり真似た、それらのならわしは、以後ずっと天皇即位式のときの用具として前例となった。
 その後の有名な「源氏の白旗」「平家の赤旗」は、天皇家から皇子・王子が臣籍に下るとき、新しい姓を授かるのが例であり、白旗・赤旗は臣籍降下のとき、新姓とともに贈られたものである。それに、藤原氏の水色、橘氏の黄色とカラー分けになったことも中国の「五正色旗」(四神旗の色、青・赤・黒・白に黄色を加えた旗)の真似であったらしいです。

また、
紀元前にはヨーロッパを中心に十字軍の旗などがあります。
歴史をさかのぼると、いつから旗はあったのでしょうか。。。

自分は右とか左ではありませんが、
「日の丸」を国旗とは認めないとか、ある団体が反対して??とか
新聞など報道されていましたが、
「旗」自体を反対するのは、おかしな話だと思います。
戦前の「日の丸」のデザインがよくないから、
戦後の日本は△△のデザインの旗がいい。ならまだ理解しやすいのですが。
スポーツのとき、オリンピックのとき
世界中の参加された国が国旗を掲げ国家を歌います。
日本国の国民として 当たり前の話だと思います。

今、日本から世界に対して戦争を仕掛けると
真剣に思っているのかな?
戦争を起こした事に対しては 後世に語り継いで忘れてもいけないし
反省を怠ってはいけない。 そうした基本的教育が一番大切だと思うのですが

2 件のコメント:

水掛け さんのコメント...

昔は祝日を旗日といって玄関先に日の丸を掲げお祝いしましたが 今はあまり見かけなくなりました ここでも伝統が少しずつ 失われて来ているような気がします 古い言い伝えや風習は 今になって理解できるしその通りだと納得出来ます 
それにしても 海外に旅行に行って 日の丸の
付いた飛行機を見ると安心するのは 私だけ?

Unknown さんのコメント...

こんにちは、
確かに海外へ行くと
日の丸の旗を見かけると安心します。

祝日には国旗を掲げる家庭も
少なくなりましたよね。

伝統を大切にする心だけは
持ち続けていきたいです。